麻倉もも「僕だけに見える星」の所感ー恋の歌のその先ー
どうも。
しがないオタクやっております。ケイです。
このブログを読んでくれているであろう方々はご存じかと思われますが、
11月11日に麻倉ももさんの8thシングル「僕だけに見える星」が発売されました。
(各サブスク等でも配信されています。今回はフルでMVも視聴できます!)
「柔らかな印象と共に、曲へ思いを馳せたくなるような素敵な世界観」をもつ麻倉ももさんの楽曲が大好きな僕としては、
居ても立っても居られずブログを書き始めた次第です。
表題曲とCP曲、一つずつ僕なりの感想を話させて頂ければと思います。
それではいきます。
1.「僕だけに見える星」
まずはもちろん表題曲。
ラジオやYouTube等で発売前から聴ける機会が多かった一曲です。
前説として聞く前の印象をお話させてください。
正直なところ、
「恋じゃないもちょって何ぞや!?」という思いがありました。
ある種おっかなびっくりしているところがあり、
本格的に感情移入していくのは発売日後でいいな…と思いながら過ごしていました。
そして、来る発売日当日。
聴いた瞬間、
「なんだよこの名曲は????????」
という衝撃が僕に走りました。
名盤が過ぎる
— 東雲 ケイ (@keiSAN_71) 2020年11月10日
(その時のツイート)
正直なところ「恋」じゃないからといって、僕は大変失礼ながら、「麻倉もも」を侮っていたのかもしれない。
そんなもんは一切合切関係なく。
この曲、言うまでもなく「麻倉もも」の曲でした。
では、実際に楽曲に対し僕が抱いた印象について。
曲調や歌詞の世界観としては、爽やかさと切なさが同居するといった感じ。
今までの彼女のスタイルとは異なっているのは確か、なんです。
ですが、根本として
「誰かの気持ちを歌に乗せる」という芯の部分が一切ぶれていなかった。
Agapanthus以前では、「誰かの恋」の物語を代弁し。
僕だけに見える星では、「誰かの心」に寄り添って。
言ってしまえば、「歌に気持ちを乗せる」だなんて当たり前のことかもしれないけれど。
それが、麻倉ももさんであれば、自分でない誰かの気持ちに対して、というところが大きなウエイトを占めていて。
優しく寄り添い歌い上げてしまうのだなと、今回思い知らせられました。
「恋」という自分ではない誰かの気持ちを歌い続けてきたことが、
人物像すらあやふやな「僕」の思いを乗せて歌うことに繋がっているのだと、思っています。
2.「あしあと」
続いて今回のとんでもCPについて。
正直なところ、僕自身は
「大分攻めたなあ!?」
と思いました。
ぶっちゃけたところ、そんな驚かなくても「Twinkle Love」「Agapanthus」なんかでウィスパーボイスやってるでしょう、という話なんですけど、
そこだけではなく。
僕の衝撃は何よりも「もちょラップ」なんですよね。
かわいい声の人がラップやっとこんな破壊力あんの!!!???
えぇ!!!!!!!????????
という感じでしたね。これマジ。
相当荒ぶってしまいましたが、加えて外せないのが
「日常」を切り取っているということ。
「恋」についてを歌に乗せる、となると、(現実味のある部分は捨てきらずとも)やはりある程度ポジかネガに振り切るのが一般的、だと思っています。
でもこの曲は、
ありがちな現実をゆったりと捉えていきながら、「明日も頑張っていこうかな」と、
テンション感を著しくぶれさせることなく歌い上げる曲という印象を受けます。
そして優しく、寄り添うボーカル。
アルバム「Agapanthus」で蓄積されたもの、継続してきたもの、そして今回の「寄り添う」というコンセプトが見事にマッチした、
素晴らしい一曲だな、と思いました。
○総括ー8thシングルから感じた、「寄り添う」ということー
今回のシングルを通して、やはり僕が感じたのは、
今までとは違うようで、でも変わらない「麻倉もも」ということです。
インタビューでもお話されていますが、
Agapanthusというアルバムで恋の歌が一区切りとなった一方、ライブはまだ(11月14・15日に公演予定)終わっていないという現状を受けて「寄り添う歌」という選択をした麻倉ももさん。
恋の歌では「同年代の女の子を励ます」という気持ち(365×LOVEインタビューより)を届け、
「僕だけに見える星」では、誰かの心を温めてくれるような歌を届けてくれています。
そこには、自分ではなく他者を想いやる、麻倉ももさんの優しさが何よりも現れているのではないかと僕は思っています。
ライブでお目にかかる機会があった暁には、印象が変わることももちろんあるかもしれません。
それでも僕は、初発の感想も一つの思いとして大切にしていきたいな、と思っています。
それでは。
今回参照させて頂いた記事など